omochi choir

ブログを書きます

切実さと実感だけが欲しい

 

・こないだ友達に「好き」ってなんだと思いますか?って聞かれて。

 

・熟考した。

 

・どんな状況でも味方でいること、だと思った。

 

・例えばテレビに悪いことをした人が映る。恋人に「わたしがこの犯罪を犯したらどうしますか?」と聞く。恋人は縁を切る、と言った。

 

・そうするとわたしはたまらなく悲しくなって彼の好意を疑ってしまう。

 

・我ながらたわいもない仮定の話だと思う。馬鹿馬鹿しいと思いながらもどうしてもなんでそんなこと言うの〜と悲しくなってしまうのだ。

 

・友達が聞いてくれたおかげで、それはわたしにとっての「好き」がいつだって味方でいること/いてくれること、だからだなってことに気づけた。

 

・別に偽装工作をしてくれなくても、逃亡の手伝いをしてくれなくても、どんなあなたでも一番大切だよ、と言って、手を握って、ずっと待っていてほしい。

 

・そうだ、「社会的に善良な」わたしに限って愛してもらえるのか?という、寂しさ?疑問?があるのかもしれない。

 

・わたしが善良でいるのはわたしの望む自分が善良だからというだけで愛してもらうためではない。わたしの望むわたしがたとえば社会規範を犯してしまう可能性が絶対にないと誰に言い切れるだろうか。

 

・でも、口ではどういうこともできる。

 

・世界の全員があなたを敵視したとしても自分だけはあなたを守るよ、なんていうのは使い古されたチープな言葉だ。

 

・言葉が欲しいわけではない。いつだって欲しいのは切実さと実感だ。

 

・つい一昨日、缶詰のフチで指をざっくり切って大量に出血しお医者さんに縫ってもらう、ということがあった。

 

・すごく血が出てかなり怖かった!落ち着いてみれば一センチほどの大したことのない切り傷なのだけど。

 

・そのとき恋人はすごく優しくて、頼りになって、立派だった。

 

・いつだって私には(私だけじゃなくて人間みんなだと思う)当事者として恐れたり悲しんだり怒ったり、また喜んだりする自分と、それを冷静に見ている自分がいる。

 

・当事者の私は見たことのない量の血にテンパって泣いていたけど、俯瞰で私を見ている私は私ではなくて本当はすごく慌てているだろうに私を落ち着かせようとしてくれている恋人に注目していてとても感謝していたし、この人がいてくれてよかったな。と思った。

 

・うん、仮定の話より、いつだって起きたことを信じるべきだ。

 

・言葉が大好きで、言葉を信じていたいけれど、人間関係という点においては行動と身体のほうが嘘がなくて好きだ。

 

・だってこれからもきっと私が犯罪者になる可能性よりも、不注意で怪我をする可能性の方が高いから。

 

・嫌だ〜、もうどこも怪我したくない。痛いの嫌いすぎる。