omochi choir

ブログを書きます

やるとかやらないとかできるとか

 

・漠然と誰かの天使になりたい、と感じるときは実は漠然と誰か天使を求めているのではないか。

 

・救いたいと渇望するときに救われてくれる人はまさしく人を救ってる。

 

・関わる人が少なくなるとその人たちに求めるものが多くなる。それがほぼ一対一になってしまうが共依存みたいなことなのかな、と思う。

 

・自立とは依存先を増やすこと、みたいなやつか。

 

・たとえば片足立ちで立ってくださいって言われることと、両足で立とうとしてるのに片足だけがひょろひょろで力が入らないことはきっと違う。

 

・これで、立つんだ!!!と思えば人間、一本足でも二本足でも、三本足でも立てるような気はするな。

 

・根性論か。

 

・根性論をオエーと思う自分とそれに頼りたくなる自分がわたしの中にはいる。

 

・やればできる、というのは残酷だと思っていて、それはやらなければできない、ということだし、もっと言えばできていなければやっていない、ということだ。

 

・やるぞー!って思ってやれたことがいろいろあるけど、それは別にやるぞー!って思ったからやれたわけじゃないってこと忘れない方がいい。

 

・やるぞー!って思ってやれなかったとしても、それも別にそういうこともあるよってことも忘れない方がいい。

 

・自分のこと、自分に起きること、自分が起こすこと、思いの外コントロールできないけど、舵を切ろうとするのはやめたくない。

感じられるくらい近く

 

・自分が汗くさいことがわかって嫌だ〜。えーん。

 

・社会の中で生きているわけだから、もうわたしの思考も行動も全て社会的なのよ。

 

・起きるのも、寝るのも、誰かを好きになるのも、嫌いになるのも、お風呂に入るのも、健康状態も、ぜんぶ社会的なことだ。

 

・たとえば同じ親から同じ年月日に生まれたとしても、別の国なら?別の星なら?(別の星に社会があったらの話(あるだろ(あると思ってます(あるほうがワクワクするもんね))))

 

・だから、今の自分がどんなにハッピーで、友達が大好きで、恋人も大好きで、家族も大好きでも、社会のことは関係なくないなあと思う。

 

・関係ないように見えるだけだから。

 

・悪いことも、良いことも、いつかちゃんと感じるくらい近いところにくると思っている。

 

・わたしの喜怒哀楽全部わたしが感じたことではない。

 

・いや、感じたことなんだけど。

 

・環境や社会に感じさせられてるというか。そう思わない?

 

・からっからの脳

 

・シュークリーム食べながら小林さんちのメイドラゴン見ることしかできないわよ

選ばないを選んだことで選ばれる選択肢

 

・選択の積み重ねが生活だと思っている。

 

・朝、起きるのか、起きないのか、から選んで選んで選び倒して、夜、寝るのか、寝ないのか、寝るを選んだら一日の選択は終わる。夢を見るか、見ないか、は選べない。わからない、選べるのかもしれないけど、わたしは選ぶ方法を知らない。

 

・選択しないことはできないと思っている。例えば朝、起きるを選ばないなら起きないを選び、逆も然りだ。

 

・選ぶことを放棄するなら、なんとなくそれは環境だったり周囲の要因で、何かを選ばさせられる。

 

・ゲームとかでずっと放置しとくとカウントダウンが出て、それが0になると、YESかNOか、右か左か、選ばれてしまうのと同じことが実生活でも起きる、起きている、とわたしは思う。

 

・選ばない、を選んだことで選ばれる選択肢

 

・だったら、選びたい。

 

・なんか、うまくいったときは人のおかげで、失敗したときは自分のせい、みたいな格言あるじゃん。

 

・自分のおかげで自分のせいがいい!

 

・全ての要因が自分にあってほしい。

 

・26年の短〜い人生を遡って、ああしとけば!と思うのは結局人に委ねちゃってたときだと思う。

 

・でも、委ねるぞっていう選択はちゃんと自分でた気がするからやっぱりじゃあ自分のせいだ。ちゃんと。

 

・よかった〜!自分のせいで〜!

 

・でももう全部私のものだ、誰にも委ねてあげないぞ。

見えない線を越えた先

 

・やっぱり、もうここまできたら、みたいなのってよくないって思う。どうしても。だってその見えない線を越えたら、越えたもん勝ちになっちゃう。

 

・なんか匂わせみたいになったけど、普通にオリンピックの話です。

 

・アスリートの人たちは頑張ってほしい。やるからにはやる、っていうアスリートの人たちのことは誰も責められないと思う。

 

・でも別に見る側はやるからには応援する、をしなくていいと思う。応援する、をしてもいいと思う。

 

・わたしもオファーされてる舞台あったら出ると思うし、観に来られない人がいたとしてもそれを絶対に責めないので。

 

・去年の今頃に新型コロナウイルスに感染して、10日間くらい入院した。

 

・アルバイト先のコールセンターがクラスターになった。体調が悪くて休んだ人がいて、その翌日にはその人がPCR検査を受けたってことを周知されて、家に着いたらすごく喉が痛かった。

 

・その翌日かな?熱が38度を超えて呼吸が苦しくなって、自転車を運転していて車に轢かれた瞬間(そのあと普通に意識もあったし打撲と膝が剥離骨折したくらいの怪我だったので本当に当たった瞬間だけ)以来で、もしかしたら死んじゃうってことがあるのかもしれないな、と思った。

 

・そもそも喘息の持病がある。子どもの時に数日入院したことがあるくらいの喘息。

 

・入院とかその他のHOWTO的なことは書くつもりはない。もういろんな人が書いてると思う。わたしが感染した時には日に300人ほどだった感染者数ももう2000人近い。

 

・今年の5月、有観客で行われる演劇の公演に出演する予定だった。その公演は情勢を鑑み、中止。劇中歌などの動画を撮影しDVDを販売することになった。

 

・わたしは感染したことがあるし、めちゃくちゃつらかったです。ということはもし有観客で公演をすることになっていたらそのときに発信する予定だった。なんか、それを隠して、リスクのある中で足を運んでもらうのはどうしてもフェアじゃない気がしたからだ。

 

・本当にめちゃくちゃきつかったし、死ぬかもって思った。その状態に、わたしを見にきた人がもしかしたらなっちゃうかもしれない。わたしを見たせいで。

 

・だったら、出演をキャンセルするべきだったのかもしれないけど、結果論だが、視野を広く、中止の判断をきちんとしてくれた団体だからこそ、絶対がない中でもベストを尽くして公演をしてくれると信じて出演することにした。

 

・なんだろう、結局なにが言いたいのかわからなくなっちゃった。

 

・東京に住んでいるわたしの周りでも感染した人は少ない。感染した人でも無症状だった人がほとんどだ。でも、本当に怖いんだよ。本当に誰にもなってほしくない。

 

・わたしが演劇を今やっていない理由はまあもちろんいろいろある。演劇をやらない生活ってものの面白さに気づいてきたからなんとなくそれをちゃんと掴んでみたいとかそういうのとか。

 

・でも、やっぱり自分と自分を好きでいてくれる人の、比喩ではなく文字通り、命を預けられるほど信頼はそう簡単には築けない、というのが大きい。

 

・ここまできたらやるしかない、とか、積み上げてきたものが無駄になる、とか、当たり前の感覚で、やらなかった場合の損失も当たり前にあって、まじで嫌なんだけど、多分それが最悪ではないんだよね。

 

・一生の一度のイベントっていろいろあるけど、なんてことない日々だって一生に一度で、人生そのものが一生に一度の積み重ねだと思う。

 

・あー、なにが言いたいんだろ、別に浮かれるな!とかそういうことが言いたいわけじゃなくて、うえーん、わからない。でも、なんか、自分はこう思ってるよ、ってこと、たまらなく、言わなきゃって思ったの。そういうことあるでしょ?