努力のコストパフォーマンス
年末年始、大好きだ。
みんなが少しソワソワしている。うわついている。うわついている人を見るのは大好き。怪我とかしたら危ないから怪我しなさそうなところでうわついてる人ね。これはね!大事なこと!
今日も5時間くらいかな。読書したり勉強をしたりした。知識欲みたいなものって本当にオシャレじゃないな、と思う。欲望の中でもなんというかどろどろして制御のかなり難しい泥臭いものだと思う。そして、どんなに人生を捧げても短い人生の中では全てを知ることはできない。どうなんだろう、なんか、パー!ってなって、全て知れました!みたいになったらウケるな。あ、もしかしてそれが悟りか?悟り、おもしれー。名前に「悟」が入ってる人めちゃくちゃプレッシャーない?平気?
人として、うーん、人として?人としてって広すぎるな、まあなんか、なんとなく、ちゃんとしてないのに結果出していく人ってかっこいいじゃないですか。アニメのキャラとかでも多いじゃん。ちゃんぽらんだけど最強!みたいな。でもそれってほんーーーーーーのわずかの人で、みんなそれに気付いてるのに自分がそのほんーーーーーーーーーのに入れてる気がするじゃん。別にそれはいいと思う。そういうのダサいとか言うつもりないし、そう言うことに気づいた時の無力感みたいなものについて今更言うのもさ、ねー。
でも、わたしは、結局何かを成したいぞ!と思ったときに一番コスパいいのって日々のコツコツした努力を積み重ねることだよなあってことに気付いた。薄々勘付いてた。それが確信に変わった年だったかもしれない。
バン!って100にするのも、5ずつを20やって100にするのも、100は100であって、そこへの道筋はなんだっていいし、後者の方が誰でもできるし、なかなかできないことだよなってね。当たり前のこと言ってすまんね、年の瀬に。
「100にする」を目標にしてたつもりが、「0を突然100にする」ことが目標になること、あるよねー。なんか始まりは一緒でも、プロセスも、結果も、全く違うものになっていく気がする。
うーん、まだまだうまく言葉にできないけど、伝わるかなー?