omochi choir

ブログを書きます

なんとなく、しない(好き)(嫌い)

 

好きなものを好きな理由だったり、嫌いなものの嫌いなところだったり、そういうのを好きとか嫌いってとっても直感的なものだからこそ、別に人に言わなくても自分だけはちゃんとわかっておきたいと思う。

 

なぜ?がはっきりしてるものしかコントロールできないと思っていて、コントロールできるものは少しでも多いほうがいいと思っているからだ。

 

だから、なぜ自分はこう思うんだろう、こうしたんだろう、こう言ったんだろう、ということばかり考えている。他人のことは考えたってわからないからなるべく考えない。答えを聞いてもそれが本当かはわからない。自分について深く長く丁寧に考えれば自分なりに答えは出せる。(もちろんそれも間違ってることも多い)(かなり時間が経ってからそれに気づくこともある)

 

なるべく好きになったものは嫌いになりたくないという強い気持ちがある。でも、それは強く気持ちが動くからなので、もしそういうことがあったらもうそれについてずっと考えたい。なんとなく好きになったものをなんとなくもう好きじゃなくなっちゃったな…と思うのはつまらない、と感じる。

 

こことこことここが好きなところだ。とちゃんと認識する。あれがあって、これがあって、それがあって、その好きな部分が損なわれてしまった。そうなると私の気持ちはネガティブなものになるんだな。とか考える。

 

例えば、ユーモアがあり、センスが良くて、おしゃれなところが好きだなと思う人が、浮気とか不倫とかしてたとしても、ふーん、こういう(私にとって)嫌なところがあるんだなあ。って思うくらいだと思う。

 

でも、誠実で、人の気持ちを考えられる、穏やかなところが好きだなと思う人が同じことをしたら、好きじゃなくなっちゃうかもしれない。

 

逆(?)も同じで、後者の人が30000回流行りの芸人のギャグをめちゃくちゃつまんないのに言っていても、お〜面白いと思うものは違うんだなあ。と思うだけだと思うけど、前者の人が私がなにか言うたびに「クセが強いんじゃ〜」って言ってきたら2度と会わない可能性もある。(ちょっと古い例えかもしれない)

 

交友関係が広いね、いろんな友人がいるね、というようなことを言われることが増えてきたんだけど、それは単に全員に同じ「良さ」を求めてないからだと思う。絶対嫌な要素だけを自分なりに決めて、それがない人とはなるべく親交を持ちたいと思う。だから私の仲良しさん同士はかならずしも仲良くはなれないと思うな。趣味思考主義主張がかなり逆だなーって人たちいる。

 

嫌いな部分も同じでそこがなくなればいい人なんだけどな〜と思う人のそこがなくなれば仲良くなりたいと思うし、そこがなくなれば好きになれそうなんだよな〜って思うまあ例えばコンテンツがあったとしたら柔軟に好きになりたい。

 

なんかより多くの人やものを好きになるための考え方なのかもしれない。好きが多い状態の自分が好きだ。うん、これは学びです。

 

私の脳を整理するためのブログだから何も伝わってない可能性があるけどまあいいか。みんなもわたしの好きなところが損なわれないうちはずっと好きでいてください。