純粋な自分を保つために
・彼女はわたしにとってはもう充分すぎるほど嫌いな女なのだけど、嫌いな女、ってなんか、そういう存在が自分にいるってことが自分の存在のノイズな気がしてしまって、なんだかそう形容するのが憚られる。
・嫌いな人、嫌いな属性、嫌だなあと思う他人の言動、なんだろう、それこそ差別的だとか、あからさまに感じ悪いとか、そういうのは嫌ですよ、というのきちんと表明していこうと思ってるんだけど、なんだろうな。こういう人いるよね、みたいな。なんかそういう人のことわざわざ嫌いになったりそれを表明したりとかしないようになった。ここ2、3年だな、多分。
・別になんか博愛とか、人を悪くいうとそれが返ってくる、とかそういうのではないんだと思っていて。
・純度の高い自分でいたいと思うようになった。コロナ禍もあるが、その少し前からわたしは自分の人間関係を自分で取捨選択できるようになった。
・そうなると、なんかやっぱり自発的になんの刺激もなく自分から湧き上がるものってそんなに多くない。
・多い人もいるだろうと思う(羨ましい)
・だから、せっかく、自分の選んだ良き人たちとの良き交流からなんかうーんなんか良きものが生まれてる中で、わざわざそういう嫌なものがあるのは煩わしい。ノイズなのだ。
・でも、生きていく中で、嫌な気持ちになることはあるし、怒ることもあるし、で、もうそう思っちゃったら、そう思ってることを自分に見えないようにしないっていうのも長期的に自分の純度を保つために大事な気がしている。
・それで、そういうのなんか、どうせだから良い方向に昇華したい!みたいに思う気持ち、もちろんかなりあるけど、でもなんかもうそれはそれとして、アーアな出来事として、心の動きとして、消耗していくのもいいのかもしれない。
・消耗したらまた充填したらいい。それがわたしにはできる、できる環境がある。
・性格、とか、そんなものは日々うつろうものだ。環境がそれを補填してくれるのだ、と思う。
・どういう環境に身を置くかだ。それを選べない人もいるし、選べている人も選べなくなるときがある。
・いろんな人の最善を手助けしたい。